田の神と稲荷信仰、そしてヤマアカガエル 『田の神様は、本来は山の神で、春に山から里に下り、里人に恩恵を与えた後、秋に山に帰る。』
これは古代日本人(の中の稲作集団)の素朴な信仰です。特に古代になればなるほど、灌漑治水土木技術が未発達で氾濫原あるいは台地の河口平野で稲作が不可能なため、初期の稲作は山の棚田で始まった地域が多いのです。近代人の常識に反し、「平野の土地が不足し不利な山地で稲作を始めた」のではなく、「山地の土地が足りなくなったので、平野で稲作を始めた」わけです。
ゆえに稲作農業の神格、お稲荷(“稲生り”)さんの総本山、伏見稲荷はひとつ山全体なっており、稲を荒らす動物を退治する肉食獣オオカミ(その後、稲の色からの連想で、キツネになった)が、お使いになっております。和歌山の山地に多い、春の祭りと秋の祭りの元型も、お稲荷さんの歓迎会と感謝送別会です。
古墳時代という“近代以降”になると、平地で稲作できる土木技術が(巨大古墳作れるぐらいですから)発達し、その後平野稲作が当たり前となり、それ以降、山と稲作の関係を、人々は実感できなくなってきました。
不起耕・不施肥栽培の教祖オジイサンがなくなられたときに「不施肥栽培は、土地から無機養分を収奪し続けるのでサティスナブルは不可能である」という議論がネット上でありました。一見、正しい理論に思えます。だれも反論できないようでした。しかし、事実、可能にしている人達がいます。不思議です。教祖のオジイサンは農科学知識がある一方、老荘思想家でしたので「自然の不可思議な力だ。」とされ、オカルトデムパな人々を呼び寄せてしまっておられました。残念(笑)
おしいなあ…科学的に、不施肥栽培は説明がつくんですよね。それが「田の神様は山に住んでいて、春に山から里に下り、秋に山に帰ります。」です。
?地殻変動の頻度が平地より多い山地は、大地に含まれる無機質が安定した平地より地表に出ている割合が高いので、それが春先の雪解けや初夏の梅雨で、平地に流れ込んでくる
(山の神様力1)
?そして、“ヤマアカガエル”に象徴されるもの。つまり「森(=ヤマ)の近くで自然環境に近い農作をしていれば、多種多様の小動物がヤマから集まり、そこで何割かが死に(他者に食われて排出される。そのまま死体となって分解される)、それが間接的に、ヤマからの無機栄養質の補給となっている。
(山の神様の力2)
です。「自然の不思議なパワー」というのは、単なる観察・思考力の不足w
自然に近いところで暮らしていた人たち、つまり古代の人達の素朴な信仰の方が、中途半端に科学知識を持つ近代人よりも、より「結論として科学的」なおもしろさがあります。
山からやってきたヤマアカガエルが、あなたの田んぼで卵を産みオタマジャクシになります。その過程で沢山の卵&オタマジャクシが死ぬので、その死んで土に還った分だけ、あなたの田に山地(森林)の無機質養分が移されたことになります。さらに無事カエルとなった個体が山にカエル(笑)までの期間、山から来た昆虫その他の小動物を捕食し、糞尿の形で山地(森林)に存在した無機質養分を田畑に供給することになります。
そういったことで、ヤマアカガエルも、「山の神が田んぼにやってきて、里の人々に恩恵を与え、山にカエル(わらい)」行為のひとつの具体的行動例であり、ゆえに“象徴”でもあります。
『田の神と稲荷信仰、そしてヤマアカガエル』 くだらない妄想ムンムンな長話、失礼致しました。
【2009/05/15 20:14】
URL | 与作 #- [ 編集]
駄文ついでにもうひとつ。
ヤマアカガエルなどこの手の動物は、カブトムシやクワガタムシ、オオムラサキ、トンボ類の多くと同じで、「人と自然の係わり合い」を象徴する動物(里山動物)ですね。
この連中は、全くの完全な自然状態にすると、かえって生息域が小さくなり繁殖条件が悪くなり減少ます。
カブトムシが減ったのは、単にスギヒノキ植林が増えたというだけでなく、堆肥(幼虫の最適保育環境)作りをしなくなったため。
クワガタムシは、シイタケ栽培の減少、あるいはホダ木をよその土地から買うようになった(シイタケ栽培用のナラ・クヌギ林は成虫の生育場所になり、廃棄ホダ木は幼虫の生育場所になる)からです。コナラ・クヌギ林を育て、その林内でシイタケ栽培すると、クワガタムシはウジャウジャ増えます。祖父が昔、そういう昔ながらのシイタケ栽培やっていたので、子どもの頃、本当に小さいクヌギ林なのに、そこでクワガタムシは50匹とか捕まえてました(笑)
今は、和歌山の山村でもシイタケ栽培そのものが減少し、さらにホダ木(ナラ類)は岩手や栃木産のものを購入、あるいは地元の山から切り出したものも、現地(コナラ林)で栽培するのは効率が悪いので、自宅近くの杉・ヒノキ林の中に置くのが普通ですから、成虫と幼虫の生育循環環境がなくなっているわけです。同時に原木出荷地の岩手や栃木でも、そうなっているわけです。
人間の傍にいて、人間をなんとなく「懐かしいようなほっこりした気分」にする生き物達は、人がその“身近な”自然を利用することをやめれば、やめただけ姿を消してしまいます。かといって過剰利用(人間側のエゴ剥き出し)すると、またいなくなるんですが。
【2009/05/15 21:02】
URL | 与作 #- [ 編集]
山から田んぼにやってくる生き物は、山の栄養を田んぼに運んでくれていたんですね!
人は自然の恵みを利用しますが、自然の生き物もまた、人間の営みを利用する。
結局、山も田んぼも、そして私たち自身も、すべて繋がった一つの命なんだと感じます。
【2009/05/16 01:06】
URL | tOmOkicHi #- [ 編集]
単に、山から来て田畑を荒らすと“近代人”が考える、猪や鹿も、“古代人”から言わせると、そうなんですけどね。
捕って食えば良質なたんぱく質という山からの恵み。(そして、ポットン便所を液肥として利用するならば、山地の養分→田畑へ
)
和歌山には多くの石造り猪垣が残っていますが、古い時代の物は、一部が切られている場合があります。電柵などで猪垣をつくる現代人は、「動物の害を防ぐもの」としてのみ、猪垣を考えてしまいますが、本来はそれだけではありません。わざと猪垣に切れた部分を作り、そこに、罠や落とし穴を作って猪や鹿を捕える、そういう積極的な意味があるわけです。
私の父親は、吉野の山中の出ですが、そこでは昔、間伐された杉ヒノキの丸太で集落の畑を囲み、囲みの一部分だけ凹型にしておき、そこに虫食いイモなんかを置いておきます。マヌケな猪が、畑に侵入しようと垣の周りを回っているうちに、凹部に入って板の上に載せてあるエサを食うと戸が落ちるようになっていたそうです。つまり捕獲のための箱罠と、防除のための猪垣が一体構造になっているわけです。(そういう猪垣を作る専門の人が地域にいたそうです)
【2009/05/19 01:41】
URL | 与作 #- [ 編集]
やばい、茶飲みすぎて眠れなくなった…ので、また落書きしていきます。
ヤマアカガエルの鳴き声は、“山の神様”の喜んでいる笑い声じゃないかと。私の妄想(笑)では。
久々に、自分に居心地の良い場を作ってくれた、自分と繋がろうとしている奇特な人間が現れた、笑い声。
【2009/05/19 02:29】
URL | 与作 #- [ 編集]
いつも興味深いお話ありがとうございます。
なるほど、シシも害獣呼ばわりして守りに入るばかりでなく、積極的に利用してきた知恵もあるんですね。
都会育ちの私たちには、そこまでのワイルドライフはなかなかハードル高そうですが…。
とりあえず、田の神さんが笑ってくれたんで、初めの一歩は良しとしようかな(笑。
【2009/05/20 23:38】
URL | tOmOkicHi #- [ 編集]
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